2019年 01月 26日
今月の収穫 「淀川長治 映画の旅」
但し、「映画塾」という講義録によると「前夜、詳しいメモを書いて、本番では時折それを見ながら、次々とアドリブが入る」とありますから、概ね、そのスタンスで臨まれていたのではないでしょうか、超人的な記憶力の持ち主ですし(笑)。
「日曜洋画劇場」は、映画ファンに成り立ての頃、所謂クラシックな作品にたくさん出会えたことが何よりの財産になってます。
中3の時、「荒野の用心棒」が初放映された際は、飛び上がって喜んだものですが、その辺りから、近作がラインナップの多数を占めるようになって来たのかな。
もちろん当時はそれが有り難かったのだけど、今、思い出すのは、やっぱりクーパーやキャグニーを語る時の、本当に嬉しそうな氏の顔ですね。
その中学時代、初めて買った著書が朝日新聞社から出た「淀長映画館」、たっぷり「日曜~」で放送された映画の話が、と思いきや、サイレント期の名作や俳優のエピソードがたっぷり(笑)でも、面白く読んだなあ。
その後、キネ旬などで時々、長めの映画評なんかを読むと、あのクセのある文体のせいもあって、やや古めかしく感じたりもしました。
全4巻にまとめられた「淀川長治集成」でも、得意の人やジャンルについて書いても今一つ、地味、というか、印象が薄いんですね。
前記「映画塾」が素晴らしいのは、やはり「語り」だから、というのは、少々失礼なので、1冊挙げるなら「淀川長治自伝」でしょうか。
映画そのものについて書くときの「真面目過ぎる気負い」みたいのがなくて、リラックスしつつも、例の記憶力に裏打ちされた「面白さ」も抜群の傑作です。
すみません。
you tubeじゃなかったです。。。。。。
確かにjunさんのおっしゃるように淀川長治は語りの人で、文章の評論はもう一つかも。
あの独特のリズムのしゃべりは「オネェ言葉を隠そうとするけれど、映画に興奮して話すと生地がでてしまう」ことから生まれたものかも。
(確か)「映画千夜一夜」の蓮実重彦の斜に構えた姿勢をいなす淀川さんが好きです。
淀川さんに限らず、当時は読む面白さより、真面目な分析が多かったのかな。
中学時代、いつも友達から借りた「スクリーン」で、真っ先に読んだのが、双葉十三郎の「ぼくの採点表」だけど、何年か後、晶文社から出た「映画の学校」で本格評論を読んだ時には、その懇切丁寧な解説ぶりも含めて、ややカッたるく感じてしまったし、私の「人生の師」である植草甚一にしても、映画評論家時代の文章は、正直、あまり魅力がないんですよ。
この時代の批評家では、やはり南部圭之助のセンスと文章が群を抜いてるように思います。
淀川さんが憧れて「先生」と呼んでいた人だけど、実は、淀川・双葉・植草・野口久光らの世代より少し上(4~5才かな)なだけ。
双葉さんが「すごい、先を行っちゃう人ですから」と述懐するように、学生時代から映画雑誌の編集を手がけ、「新青年」に連載(「シック・シネ・シック」)を持っていた位だから、恐らくこの分野の先達だったのでしょう。
残念ながら、再評価や著作集が編まれることもなく(人徳がなかったのかも、笑)、
殆ど忘れ去られた存在ですけど・・・
残された僅かな著書の中では、最後に出した「映画が女と舞台を愛するとき」が、そのエッセンスが詰まった良書なので、機会があれば、ぜひ御一読を。
中でも「叫びとささやき」と「スィートチャリティ」の批評は、大げさでなく「映画批評の神髄」が味わえる名文ですよ。
南部圭之助ですか、読んだことがないです。
「映画が女と舞台を愛するとき」、ぜひ探してみます。
淀川・双葉・植草・野口久光よりセンスがあるなら相当凄いですね。
私も個人的には植草甚一の映画評論はイマイチだと思います。(ミステリーとジャズのは大好きですが)
この4人の中なら圧倒的に双葉十三郎かなぁ。
いやぁ~、読みたいですね。
実際、溝口・小津・黒澤・木下らについて、長所と欠点を、こんなに明確に小気味よく批評した文章って、そうは無いんじゃないかなあ。
後半の、70年代のベストテンに添えたコメントも冴えてますよ、「ジョニーは戦場へ行った」を「残念ながら映画ではない」、「探偵スルース」は「演劇の真髄を知らない演劇好きのベテランが撮った演劇映画」とか(笑)。
そうそう、「シネマ狂想曲」というドキュメンタリーがNECOで放送されるけど、シネマスコーレって、おいらの地元にあるんですか?
ちょっとチェックしてみようか、と思ってますが・・。
あはは、
「ジョニーは戦場へ行った」を「残念ながら映画ではない」←鋭いなぁ。私も「ジョニ戦」は昔から「名画だ名画だ」と念じながら観ていた映画で、そういう人は実は多いんじゃないかなぁ。
トランボの人生がかかった映画との思い込みと「反戦映画」ということが評価を上振れさせるわけですが、確かに「映画じゃなくて」文学かもね、どちらかというと。
「探偵スルース」は「演劇の真髄を知らない演劇好きのベテランが撮った演劇映画」←これまたきついですねェ。
「探偵スルース」は最初のも後のも(ミステリー好きな私としては)好きですが、これまた映画じゃないし、「演劇の真髄を知らない」も「鋭いなあ、あはは」という感じです。
ご存知とは思いますが、シネマスコーレは名古屋駅裏にある映画館で、故・若松孝二監督がオーナー(確か、傾きかけたときに買い取った)の小屋です。
監督もよく舞台挨拶にもお見えになっていたと思います。
「シネマ狂想曲」は近年、東海テレビのドキュメンタリーが話題になっているのに対抗して(?)名古屋テレビが作ったドキュメンタリー。
同じ名古屋のアートシアター、「名古屋シネマテーク」の2017年のベスト10では第10位に入っています。
チャンネルNECOは番組によってはあまり再放送しないから、チェックした方がいいかもしれませんね。(私も映画館で見逃したし、今回の情報もjunさんに教えてもらうまでノーチェックでした。ありがたや。)
ミステリーファンにとって極上の1作だと思いますが、「演劇の真髄を知らない」私なんかは、南部氏の言葉に「ふむ、ふむ」と感じ入って、却って愉快な気持ちにさせられます(これが批評のワザでしょうか)。
マイケル・ケインが出たミステリーでは「デス・トラップ 死の罠」というのも面白かったですね。
「探偵~」と同じく戯曲(こちらはアイラ・レヴィン)の映画化だけど、ミステリーと舞台劇って相性がいいのかな。
これにワイルダーの「情婦」を加えた3本を「ミステリー戯曲の映画化成功作」のベスト3に認定します、って、元の芝居を観ていない私が言うのも何ですが(笑)。
そういえば、あのコロンボも最初は舞台だったんだなあ。
「シネマ狂想曲」楽しみになってきました、チェックしといて良かった(笑)。
そうそう「デストラップ 死の罠」も面白かったです。
しかし内容、全然覚えていない・・・・・・
面白かった記憶しかない・・・・・・
一方、「情婦」は昔から苦手なんですよね。
確かに「情婦」も「探偵スルース」2作も、「映画」的ではないんですよね、舞台的で。
やはりヒッチコックが偉大過ぎるというのか、どうしてもヒッチを基準に観てしまいますから、最初から「舞台的」と期待しないで観た「探偵スルース」に対し、ビリー・ワイルダーだからと(それなりの)期待をして観たら、がっかりだった、という感じかなぁ。
元々ワイルダー、あまり好きじゃないんですよね。
師匠のエルンスト・ルビッチが凄すぎて、亜流の感じは免れない気が。
情けないことに、私もどっぷり蓮實史観にはまって重症かもなぁ・・・・・
ただ、ワイルダー自身の評価は「ハリウッドのプロの中で、どうしてワイルダーが〈最も演出の上手い〉監督なのか、理解に苦しむ」、「(特に)60年代以後の彼は、流動感がないという欠陥がますます固着してきた」と、かなり手厳しく、この本を読んだ当時、ワイルダーを「名監督」と信じていた若き日の私など、「へえ、そうなんだ」と、少なからずショックを受けました(笑)。
そんな中、「情婦」をワイルダーの最高作としているんですが、その理由が「作品の三分の一近くが(チャールス・ロートン扮する)弁護士の私生活に亘るシークエンス」で、「日本の映画ファンには理解しにくい境地の生活なのだが、これが大変な魅力を持っている」ということで、私も再見の際は、その辺りを重点的に鑑賞した覚えがあります(笑)。
「作品の三分の一近くが(チャールス・ロートン扮する)弁護士の私生活に亘るシークエンス」で、「日本の映画ファンには理解しにくい境地の生活なのだが、これが大変な魅力を持っている」←あちゃー、全然、覚えていないです。
あまり好きじゃないからブルーレイにも落としていないんですが、もう一度観直してみなきゃなぁ。
ありがとうございます。
「流動感がないという欠陥」はよく判りませんが、何となく感覚的には理解できるような気もします。
個人的には「地獄の英雄」と「第十七捕虜収容所」が好きですね。
あと「フロント・ページ」もまあまあ良かった。